世界でも30数人ほどしか達成していない偉業、8000m峰14座の登頂に成功した国内唯一のプロ登山家である竹内洋岳さん。標高にして富士山の2倍以上、酸素も通常の3分の1程度しかないという、生物が常時生存できる限界を大きく超えた過酷な環境である8000m峰。それでも、山の魅力に魅せられ、何度も挑戦を続けてきた竹内さんを駆り立てるその原動力とは、一体何なのだろうか。
偉業を達成するまでの軌跡や山登りに対する思い。さらには、過酷な山へ挑戦し続けたことで生まれた新たな挑戦と、数々の挑戦を支えているものへのこだわりなど、14座登頂達成10年記念となる2022年、竹内さんご本人に様々な角度から話をうかがった。
1つの点に、国籍も人種も宗教も何もかも違う人たちが集う。
そこには不思議な魅力がある
プロ登山家として挑戦を長年続けている竹内さんだが、登山家として活躍するまでには、どんな経緯があったのだろうか。まずはそのルーツについて聞いてみました。
「祖父がスキーやキャンプによく連れて行ってくれたこともあり、私にとって週末のレジャーとして山は身近にあったんです。そこから山の存在が大きくなっていきました。その後、高校で入部した山岳部の合宿で行った山が穂高で、北穂高、前穂高と進んで行ったんですが、それが両手両足で登る登山道だったんですね。その“よじ登る”というのが私はすごく楽しくて。さらにその時、顧問の先生が北穂高から滝谷を指差して『学生の頃にあそこを登ったんだ』と話してくれたんですが、それを聞いてもっと様々な山に登りたいという思いが湧いてきたのを覚えています。そして山岳部の活動が盛んだった立正大学に入り、当時は単体でヒマラヤ遠征をしていた大学はほぼない中、立正大学ではすぐにヒマラヤを体験することができたというわけです。それはラッキーだったとも言えますね」
大学2年次である1991年、20歳で初めての8000m峰となるシシャパンマ(8027m)登山を体験した竹内さんは、その4年後の1995年には日本山岳会に参加し、マカルー(8463m)遠征で8000m峰初登頂を成功する。その翌年にはエベレスト(8843m)、K2(8611m)の連続登頂に成功するなど、8000m峰に次々挑戦。そして2012年には、14座目となるダウラギリ(8167m)登頂に成功し、日本人初、世界で29人目の8000m峰14座完全登頂を達成した。
そんな竹内さんにとって、ずばり「登山の魅力」とは?
「よく『なぜそんな過酷な登山を続けるのか』という質問をされるんですが、これは実際に行ってもらえば『ああ、なるほど』と思うはず。その答えはそこにしかないんです。富士山だろうが、高尾山だろうが、その山は地球上に1つしかないわけで、ヒマラヤの山々も、ヒマラヤという大きなくくりではなく、その1つ1つに個性と歴史があります。なので、その魅力を知るためには、本当にそこに行くしかないんですよ。ただ、わかりやすく説明するとすれば、やっぱりヒマラヤってデカイんですよね。あのデカさ、高さというのはなんとも言葉にしきれない不思議な魅力があり、遠近感にしてもそれまでの尺度が全て置き換わるようなあの感覚は、なんともワクワクしてしまうんです」
「あとはやはり、山には人を結びつける力があるということ。エベレストの頂上も、地球上では1つの点でしかない。でもそこに登りたい、立ちたいという人が世界中からやってきて、最後はその点に集まるんです。私が登山家のラルフやガリンダと出会ったのもまさにそうですが、国籍も人種も宗教も、何もかも違う人たちがヒマラヤの中で出会うというのは、そこに辿り着くのが厳しいからこそ、すごく不思議で魅力があることだと思います」
そう語る竹内さんは、ヒマラヤの壮大な山々に魅了され、その過酷な登山に挑戦し続けている。
竹内さんの8000m峰登頂を語る上では欠かせない存在である、ドイツ人登山家のラルフ・ドゥイモビッツさんと、その夫人であり、女性として初めて8000m峰全14座の無酸素登頂に成功したオーストリア人登山家のガリンダ・カルーセンブラウナーさん。90年代後半に出会い、以降チームとしていくつもの登山をともにする彼らとの人種や国境を越えた出会いも、登山で得た大きなもののひとつだと言います。
私が実際に山で出会った人との結びつきを大切にして、
それを多くの人にも知ってもらいたい
8000m峰14座登頂を達成し、日本国内はもちろん世界的に評価される登山家となった竹内さんだが、現在は登山を行うかたわら、国内外で社会貢献や教育など様々な活動を精力的に行っている。それらの活動の具体的な内容と、始めたきっかけや今後の展望などについても詳しくうかがいました。
「登山以外の活動を挙げるなら、まずは海外における農業支援です。当初はネパールだけではじめた活動でしたが、現在はアフリカやアジアなど、他の国々にも広げている大きな活動になっています。農業の仕方やテクニックだけを支援するという従来のやり方ではなく、マーケティングやブランディングまでを含めた農業支援を行うことで、現地の人たちがきちんと収入を得られるような支援をしています。そうすることで、これまで過酷な労働環境へ出稼ぎに行くしか方法がなかったネパールの人たちが、自分の土地で家族揃って生活していけるような環境を作るのが目的です。私が初めてネパールを訪れたのは20歳のとき(1990年)なんですが、以降、多くのネパール人と出会ってきました。シェルパの下っ端だった少年が、今では一番高い地位のシェルパになっていたり、私が登山を続けることで、人々が成長していく姿を見ることもできました。ネパールで農業支援をすることでも、現地の人たちによりよい環境の中でどんどん育っていってほしいという思いが強くあり、活動を続けています」
ネパールでは、現地で生産していたいちごの品種改良とブランディングを行い、パッケージにしてブランドいちごとして販売するところまでを支援しているという。
「そのほかには、ご家庭の環境や経済状況によって自然を体験することが難しいお子さんを対象とした、『山の教室』という野外教育も行っています。キャンプや登山、田植えや稲刈りなどの農業体験などの野外教育を専門家の方々とチームを組んで行い、お子さんたちに成長や出会いの場を提供するという取り組みです。今では、私と1年間に何度か登山を行い、来年の夏には北アルプスの雲ノ平に挑戦するプログラムも募集を開始しました。この活動には、学校教育ではできない自然を体験するということはもちろん、それを通年として行うことで、お子さんたちに自然の中で成長してほしいという目的があります。私自身がそうだったように、一緒に雲ノ平に挑戦した経験によって、その後自分の生活を変えるキッカケになったり、新しい人との結びつきが生まれたりしたらいいなと思っています」
これらの活動のほかにも、今年には8000m峰14座登頂達成10周年を記念し、世界で活躍する冒険家や探検家などを招いたキャンプイベント「14PEAKS HIMALAYA CAMP & DAY」を行ったという竹内さん。こうした登山以外の活動を行う理由とは?
「登山以外の活動も、私にとっては山の延長線上にあるものなので、登山と切り離せるものではないと思っています。山ではいろんな人たちと出会ってきて、そこから人との結びつきがすごく広がりました。なので登山以外の取り組みでも、自分だけで何かをするのではなく、ひとつのことをする際にどれだけ人が集まってきてくれるのかを考えて計画を立てたり、行動を起こしたりするようにしているんです」
登頂10周年を記念したイベントには、登山家をはじめ冒険家や探検家たちの貴重な話を聞きに、多くの来場者が訪れた。
登山家として偉業から10年、その経験から「人と結びつき」をテーマに多方面に活動の幅を広げ常に挑戦されている竹内さん。
後編では、その挑戦を支えてきた道具や考え方について、教えて頂きます。
竹内洋岳(たけうち ひろたか)さん
1971年、東京都生まれ。プロ登山家。株式会社ハニーコミュニケーション所属。立正大学客員教授。1995年にマカルー(8463m)登頂。1996年には、エベレスト(8848m)とK2(8611m)の連続登頂に成功。その後も8000m峰に果敢に挑み続け、2012年に14座目となるダウラギリ(8167m)に登頂成功。世界で29人目にして日本人唯一の8000m峰全14座の登頂者となる。同年に第17回「植村直己冒険賞」を受賞したほか、2013年には『文部科学大臣顕彰、スポーツ功労者顕彰』、第15回「秩父宮記念山岳賞」を受賞。現在も登山家としての活動をはじめ、ネパールの農業支援や野外教育、野外イベント、書籍の執筆、メディア出演など、多方面で活躍している。
▼プロ登山家 竹内洋岳 公式サイト
https://honeycom.co.jp/hirotaka-takeuchi/